| ・パリ、ルイユ通り沿いの角地にある |
| スタジオ、ギャラリー、住居の用途をもつ建物 |
| ・そのころの盟友アメデ・オザンファンに |
| 依頼されて設計したもの |
| ・ル・コルビュジエは、当時の師である |
| オーギュスト・ペレからピカソやブラックなどの |
| 多くの芸術家を紹介されていたが、 |
| このオザンファンとは意気投合し、 |
| 共同で当時の前衛芸術の中で主流となっていた |
| キュビズムを批判し、さらに徹底的に対比させた |
| かたちで「ピュリスム」という運動を開始していく。 |
| 2人は、1918年秋、パリのトマ画廊にて |
| 絵画展を開き、併せて「キュビズム以後」という |
| 本を出版。 |
| 1920年には共同で雑誌「エスプリ・ヌーヴォー」を |
| 創刊する。 |


| 雨漏りなどの問題が発生し、 |
| 現在ではそれを |
| 改善するために、重要な形態的 |
| 特徴であった |
| 工場のようなノコギリ型の |
| トップライトを取り払って |
| しまっている |
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| 二面に窓を大きくとり、いびつさ、狭さを感じさせない |
| 大胆な造りとなっている |
| 90年以上前のデザインとはとても思えナイ・・・ |
| ・このオザンファンの紹介で後に妻となる |
| モナコのファッションモデル、イヴォンヌ・ガリと |
| 出会うことになる |
・1930年 43歳で結婚 |
| 「結婚したとき、子供はいらない、と妻に言いました。 |
| 建築家としての人生が非常にやりぬくくなることを |
| 恐れたからです。」 |

| 周辺の町並み |
| パリでは珍しい戸建て住宅が立ち並ぶ |
| エリアである。 |
| この閑静な住宅街の中に |
| ホワイトキューブが浮き上がる |
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